• レポート
  • 2016.9.13

【レポート】FOODiT TOKYO 2016「知的な変わり者集団!よなよなエール流『愛される』ブランドの作り方」

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2016年8月22日、外食業界のリーダーたちが一堂に集結したカンファレンス「FOODiT TOKYO 2016」(主催:株式会社トレタ)が、東京・丸の内のJPタワーホール&カンファレンスにて開催されました。昨年に続き2回目となる今回は「未来の外食創造へ。さらに深く、一歩先に。」と題し、さまざまなテーマを軸に、講演やパネルディスカッションが繰り広げられました。

「よなよなエール」で知られる株式会社ヤッホーブルーイング代表取締役社長・井手直行氏の講演を振り返ります。

クラフトビールブームの到来と終焉

ヤッホーブルーイングの歴史を紐解くと創業は1984年にさかのぼります。当時、NYに留学していたヤッホーブルーイングの創業者かつ星野リゾート代表の星野佳路氏が、ビールの製造設備を持つブルーパブでビールを飲み、それまで日本では味わえなかったビールの多様性に衝撃を受けたそうです。

そして1996年、ヤッホーブルーイング設立。日本のビール市場に新しいビール文化を創出、ビールファンにささやかな幸せをお届けするというミッションを掲げました。


株式会社ヤッホーブルーイング代表取締役社長・井手直行氏

「創業直後は順調なスタートを切りました。規制緩和とともにクラフトビール(地ビール)ブームが到来。しかし99年をピークに売上が減少していきました。そう、クラフトビールブームの終焉です」と話します。

物まねではダメ。自分たちだけの道を選ぶこと

「クラフトビールブームの終焉の理由は3つの悪いイメージが原因です」と井手さんは分析します。高価。個性的すぎる味。美味しくない。また、ブームということで多くの企業が参入し、オフフレーバーな商品も店頭に並ぶことに。

そこで、起死回生とばかりに現金が当たるキャンペーンを仕掛けますが、「いつまで経ってもはがきが返ってこない。お客さんはお金がいらないぐらい裕福なのかと思ったほど、まったく反響がない」。

スキー場で年始年末に試飲イベントを開催するも、「売れはするが、県外客も多くリピートしないため、売上の下落は止まらない。いよいよ倒産だなという声がいろんなところから聞こえてきたんです」。

そして井出氏は「私がやったことは、大手がもっと大きな規模でやっている。見よう見まねで、小規模でやってもこりゃ勝てっこない」と、物まねではダメだと気がつきます。

「そんな時、ビジネスには定型があるんだよと聞いて、ビジネス書を読むようになり、その通りにいろんなことをやっていきました」。

戦略の欠如に気づいた井出氏は、アメリカの経営学者・経済学博士であるマイケル・ポーター氏の著書を読み込んでいきます。その結果、創業から8年連続の赤字が、その後の11年は連続増収・増益!

ファンを巻きこんだ、楽しい企画

実際にはどんなアプローチをしたのでしょうか。

「うちのビールが小売店に置かれなくなった時でもファンは我々のビールを支持してくれました。そこでインターネットの通販に活路を見出していきました」。

お客さんとダイレクトに商売をしていくと、お客さんのいろんな声を受け取れるようになりました。

「叱咤激励がありました。とっても美味しかった、感動しましたという声も。そういう声を聞いているうちに将来の手応えを感じたんです。まだ捨てたものではないと」。

ファンの支持とともに、社員のモチベーションが上がりました。そこでネットを使った企画がスタート。

「ある品評会で賞をもらったとき、ダンボールでよなよなエールのスノーボードを作って、オークションをしたんです。洒落だったのになんと入札が殺到。本物のボードだと勘違いされたのかと、ダンボール製ですとメルマガで謝罪したら、わかってるよという反響が。これが欲しいんだよってみなさん怒りながら笑ってくれて」。

ファンとの、遊びゴコロでつながるコミュニケーションには他にもあります。

「50年分のビールをただお一人の方に、300万円引きの450万円でお売りしますという大赤字の企画をやったんです。結果的に申し込みはありませんでしたが、問い合わせは殺到しました」。

売上ゼロ。でも、大反響。広告費は一切かけていないのに、大きな広告に匹敵するぐらいこの取り組みがシェアされました。

“クレイジーと笑われてもいい。でも我々は、よなよなエールでファンを幸せにするのだ”

売上につながらない取り組みが熱狂的ファンを作り出し、そしてファンが増えていく。

「これを我々はビールを中心としたエンターテイメント事業と呼んでます。こんな活動をしていたら、社員が生き生きして幸せになり、ファンのみなさまからも幸せになった、と言っていただけるようになりました。このまま世界中を幸せに、世界を平和にできるんじゃないかっていう妄想を最近はするまでにいたっております」。

(※一部内容を変更しています。2017年6月8日)

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  • この記事を書いた人

    武者良太

1971年、埼玉県生まれ。80年代後半からライター活動をはじめ、90年代に出版社に入社。編集、撮影、デザインのスキルを身につけ、再度フリーランスに戻る。ギズモードジャパン、モノマガジン、デジモノ、Wired等のメディアに寄稿。元Kotaku Japan編集長。