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  • 2016.9.7

【レポート】FOODiT TOKYO 2016「創業350 余年・老舗料亭『赤坂浅田』が挑戦するおもてなしの新潮流」(前編)

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2016年8月22日、外食業界のリーダーたちが一堂に集結したカンファレンス「FOODiT TOKYO 2016」(主催:株式会社トレタ)が、東京・丸の内のJPタワーホール&カンファレンスにて開催されました。2回目となる今回は「未来の外食創造へ。さらに深く、一歩先に。」と題し、講演やパネルディスカッションが繰り広げられました。

「創業350 余年・老舗料亭『赤坂浅田』が挑戦するおもてなしの新潮流」では、1867年開業の老舗・浅田屋が発祥の高級料亭の赤坂浅田。新たな展開を主導している三代目社長の浅田松太氏に、これからの時代に求められる接客サービスについて伺いました。

江戸時代の飛脚業から旅館へと業態変換したのが赤坂浅田の始まり

浅田の歴史は古く、創業は1659年にさかのぼり、加賀藩の四代目藩主前田綱紀公より加賀と江戸の上屋敷を結ぶ飛脚の棟取りを任せられたことが始まりです。その後、1697年、明治維新の前年に「浅田屋」という旅館を開業。

そして1971年、赤坂に加賀料理の料亭赤坂浅田を開業。青山店、名古屋店を開店して現在に至りますと三代目の浅田松太氏はその歴史を語ります。そんな浅田のおもてなしの核となるのはどのようなことでしょう。

「お座敷というのは、日本文化のいろんなことが凝縮されている空間です。お料理、掛け軸、季節の花、着物、芸者衆のもてなし。そして、器に描かれる輪島塗の蒔絵など。そういう技術を継承するためにも料亭は営業を続けていかなくてはいけないのではないかと考えています」。

しかし、料亭の経営は決して安泰ではなく、今から50年ほど前の昭和40年代、赤坂には60軒の料亭があり、芸者衆が400名在籍するなど、花柳界は非常に栄えていました。しかし、2016年現在、料亭は5軒に、そして芸者衆は22名に減少しています。顧客の固定化・高齢化や、景気低迷に伴う交際費の削減、後継者不足なども料亭が衰退していく要因となりました。


<登壇者>浅田屋伊兵衛商店株式会社 代表取締役 浅田松太氏

「私が学校を卒業した1992年はバブル崩壊直後で、家業の料亭は非常に厳しい時代でした。この先、料亭を続けていくのは無理だと考え、銀行に就職しました。その後、青山店で若女将を勤める家内から話を聞いているうちに、思い切って家業を継がないといけないと思い、5年後に実家である浅田屋に戻ったんです」。

そこで浅田氏を待っていたのは、お客様の靴を預かり、帰るときに並べる下足番の仕事。お客様には浅田氏が三代目だと知らせることなく出迎えしていたそうです。この下足番を15年間も勤めました。

「日中は総務、経理。そして夜は下足番。お出迎えが徐々にできるようになっていくと、配膳をする時のお盆の持ち方や歩き方、お出迎えをしている時の表情、そういうところも気になるようになってきました。接客やお料理は大丈夫だったかが感じ取れるようになり、そこから徐々にお料理のお献立なんかも私が少し考えるようになってまいりました」。

下足番という仕事を通して、お客様と、そして料亭と向き合ったとこで、浅田氏は今の時代に求められること、やらなければならないことを見つけていったのです。

浅田が大切にするおもてなしとは

浅田氏は「お客様がお店にいらっしゃるのは、2~3時間のわずかな時間です」と話し、その時間に接客するスタッフが心身ともにベストな状態であるために準備することがとても大切だと考えているそうです。

「例えば、身だしなみやご挨拶はもちろん毎日チェックしていますが、年に1回外部の先生にお願いをして研修で見直しています。また、当たり前のことですが、接客スタッフも規則正しい生活をして、日々丁寧に暮らすことが非常に大事だと考えております」。

さらに「接客や料理の世界には、これでいいという到達点がありません」と言い切ります。

「お客様にさらにお喜びいただくために、常に学び続ける謙虚さをとても大切にしております。また、接客係がお料理・お飲み物をきっちりお出しすればよかった時代から変わり、お帰りのおみやげの管理やお車の手配まで、いろんなところに気を配っておもてなしするという仕事になってきていると感じます」。

積極的に経験のない若い人を育てていく

スタッフの育成について、どのように考えているのでしょうか。

「積極的に若い人を採用しています。おひとりおひとりとしっかり話した上で、素直に学びたいという気持ちを持った若者を採用。まっさらな状態からひとつひとつ学んでいくというスタイルです」。

面白いのが、自由に参加できるお茶のお稽古や日本舞踊の稽古など研修として用意しているということ。それぞれ、金沢や名古屋などから月に数度講師を東京に招いて、指導してもらっているそうです。

「お茶も踊りも、お客様の前で披露するようなことはありません。ただ、本物の日本文化に触れ、そこから興味を広げてくれたらうれしいなと思っています。私自身も、日本舞踊やお茶のお稽古に参加しています」。

研修の甲斐もあり、各自が自然に集まって、店単位や部門別でミーティングが行われるようになりました。そして、サービスを改善し、お店を良くしようという動きが出てきているといいます。

(※一部内容を変更しています。2017年6月8日)

【レポート】FOODiT TOKYO 2016「創業350 余年・老舗料亭『赤坂浅田』が挑戦するおもてなしの新潮流」(後編)では、歴史ある浅田でのITの活用についてご紹介します。

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  • この記事を書いた人

    コヤマタカヒロ

1973年、兵庫県生まれ。90年代にファッション誌にてライター業をスタート。現在はデジタル機器やガジェット、家電などのモノ系とそれらを取り巻くサービスを中心に取材・執筆活動を展開。学税時代はずっと厨房でアルバイトしていたこともあり、趣味は料理。