飲食店で働く人のための情報マガジン by トレタ

連載
2018年2月27日

若き経営者たちの夢〈10〉 岩田浩氏(株式会社バイタリティ)

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外食産業を牽引する経営者たちの夢に迫る企画の第10回は、2008年12月に創業し、今年で丸10年を迎える株式会社バイタリティ代表取締役の岩田浩氏である。小伝馬町、浅草橋、馬喰町、東日本橋、勝どき、月島という東京の東側エリアで、一店一店つくり込んだ直営店を15店舗展開する(3月1店舗、5月1店舗出店)。岩田氏に「夢」を聞いた。


岩田浩氏

岩田氏はバイタリティを立ち上げる前に、急成長の途上にあった居酒屋チェーンで新業態展開の最前線で指揮を執っていた。そこでは「数」が追求されていたのだが、岩田氏は起業に際して、別な路線を求めるようになった。それは、どのように実現されていったのであろうか。

大箱の居酒屋チェーンにいて、真逆の「夢」を描く

――飲食業をはじめたのはいつごろからですか?
10代で中華料理店で働いてから、その後さまざまな仕事に就いて起業を志すようになり、26歳の時に、前職の居酒屋を展開する会社に入社しました。募集広告で「研修がある」ということが盛んにアピールされていて、「ここに入ると料理とか勉強できるかな」と思ったからです。

配属された店はオープンするとすぐに繁盛しました。会社の飲み放題の宴会が多く、予約だけで18時から満席、1日に予約が400人。1日200万円を売ったり、「居酒屋ってこんなに売るんだ」と毎日驚いていました。300席ほどある大箱なのに調理にこだわって、手間を惜しまなかったことが繁盛の要因だったのでしょう。

――前職ではどのようなポジションにいましたか?
この会社には11年間務めたのですが、後半の4年間は新業態や新店を任されました。物件を探すところから始まり、契約し、アルバイトさんを募集し、開業準備をして、ということを何度も行いました。そこで「自分でもできるな」という意識がだんだんと芽生えていきました。店舗数も増えて、部下も300人くらいになったので、「独立するのはまずいかな」と葛藤もありました。

そんな中で、部下がどんどんと辞めていきます。しかし、辞めて行く彼らを押しとどめることができませんでした。私自身が彼らにビジョンを語れなかったのです。そのうち、冗談まじりに「君が辞めるんだったら一緒にやろうぜ」と声をかけたら、「やります」という人が結構いて、起業しても、やっていけそうだと感じ、独立を決断しました。37歳の時でした。

――1号店の「鳥番長」は小伝馬町ですが、その立地にしたのはなぜですか?
浅草で生まれ育ったため、小伝馬町には土地勘があり、昼間人口が多いことからランチの需要があるという確証がありました。

私自身は、新宿、渋谷、池袋といった町よりも、浅草のホッピー通りのような雰囲気が気分的に落ち着きます。また、都心に出店すると家賃が高く競合が激しいですし、私としては、生まれ育った地元の「常連さまに支えられている」という雰囲気の店を目指していました。

外部研修を経験し、経営の原点に立つ

――経営理念を「人と街の繁栄」と掲げ、理念教育を徹底していますが、どのようなことがきっかけですか?
1号店が好調となり、視察に訪れたさまざまな方々と話をする機会ができました。その中で知り合った経営者から研修に行った方がいいと勧められました。前職で手掛けた店がことごとく繁盛していたので、飲食の商売を軽視していたかもしれません。そんな感覚が態度に出ていたのでしょう。その方は私にこう言いました。「そんなことじゃ、これから危ないよ」と。

一方の私は、研修には否定的なイメージでした。お金がかかるし、いろいろと厳しいことを言われるであろうし。しかし、「行けば分かるよ」と言われ、2010年の1月から研修に行くことになり、そこから1年間研修漬けとなりました。

――実際に体験した「研修」はどのようなものでしたか?
研修では、決算書など会社の経営に関する全てを開示するのですが、精神的にボロボロになるまで、経営に対する甘さを指摘されました。多店化の夢を語ると「決算書も読めない人間が何言ってるんだ」と言われ、「勉強していないで経営者気取りをしている奴が会社を潰す」と、畳みかけられる始末です。ですが、へこたれることなく強烈に発奮しました。

そんな私に、研修の参加者が「飲食業は人が大事なんだ」と言います。それまでの私にとって「起業」とは店を増やすことでした。その時の指摘が発想を転換するきっかけになりました。
研修を通じて、「地域社会から必要とされている店舗とはどのようなものか」と考えるようになり、一つの業態を多店化するのではなく、マーケットインで地域の皆さまに必要とされる店を作っていくという考え方に変えました。

――出店エリアはどのように想定し、会社はどのように変わって行きましたが?
当社が出店するのは「中央区」です。それも銀座の中央区ではなく、庶民的な賑わいがありながら、これまで飲食店が少なかった中央区です。本部がある東日本橋はアパレル関連の問屋街ですが、ここに出店した当時は17時になるとシャッターが降りて人通りが少なくなり、町が暗くなっていました。

本部のビルは4階建て1棟を借りたのですが、「こんなに大きな物件で大丈夫か」と思っていました。しかしながら、このスペースを持つことで大きく変わりました。まず、私や店長が講師となり、勉強会を実施、社員との距離が短くなり、コミュニケーションを密接に取れるようになりました。そして、会社の方向性も人財育成に向かっていきました。

「社員さんがやりたいこと」「安心できる会社」を形に

――これから社員のバックアップはどのように進めていきますか。
自分としての方針があって店を持ちたいという社員さんがいるのであれば支援したい。10坪舗程度の規模だと比較的に運営しやすく、例えば「揚げ三兄弟」のような業態も育っていますので今後可能性はあるでしょう。当社では学びの機会が多いですし、それを求めて入社している社員さんもいますので、皆で支え合う社風は出来上がっています。

また、私が最初に学んだ外部研修は、社内の誰かが必ず出席しています。こうして蓄積したノウハウを生かして、研修そのものを社内の中で行うという環境が出来上がっています。

――今後のビジョンを教えてください。
中期経営計画では、「2020年20店以上年商20億円」という事業規模を立てて、以前から皆に伝えています。これは前倒しで達成することができそうです。これを達成するための10年先のビジョンは、「社員さんがやりたい」ということを形にしたい。一方で「安心できる会社」ということを強みにしていきたい。理想の社員さんは「自ら考え行動する人」、働き方改革も行っていきます。

世の中がすごく動いています。会社も効率化が必要になるでしょう。しかしながら、当社のような地域社会やコミュニティにこだわるという具合に非効率で行っている方が、価値が上がるのではないかという思いもあります。

【編集後記】千葉哲幸のコメント
同社の店が集中しているエリアは、小伝馬町、浅草橋、馬喰町、東日本橋の一帯である。地名を連ねると広域に感じられるが徒歩10分の圏内だ。今は遠方からもお客さまがやってくる街として知られるようになった。ビジネスホテルや倉庫などを活用したホステルが増えて、外国人観光客が目立つようになった。岩田氏は社員の自主性を尊重していて、それが街の変化に大いに貢献していると眼を細めながら語る。このエリアに感じられる温かみは、バイタリティの社風そのものではないだろうか。

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千葉哲幸
この記事を書いた人

フードフォーラム代表。
柴田書店『月刊食堂』と、そのライバル誌である商業界『飲食店経営』の編集長を歴任するなど、フードサービス業の記者歴35年。業界関連の取材・執筆、書籍プロデュース、セミナー活動を行う。著書に『外食入門』(日本食糧新聞社発行、2017年)。

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