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連載
2018年1月30日

若き経営者たちの夢〈9〉 沢井圭造氏(株式会社馬喰ろう)

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外食産業を牽引する経営者たちの夢に迫る企画の第9回にご登場していただくのは株式会社馬喰ろう代表取締役の沢井圭造氏である。沢井氏は兄が経営する馬肉メーカー、サプライヤーの営業マンから転じて2007年4月に1号店となる馬肉専門店「馬喰ろう」を神田にオープン。現在は直営7店舗、FC4店舗となっている。創業10周年を経た沢井氏に「夢」を聞いた。


沢井圭造氏

馬肉は今日居酒屋メニューの定番となっていて、馬肉専門店も増えてきている。このようなトレンドは馬食文化を広めようと努力してきた人々の賜物であるが、その一つに馬肉専門店「馬喰ろう」を挙げることができる。同社代表の沢井圭造氏は馬肉の営業マンとして全国を探訪し、その過程で地方に存在する馬食文化に大いに感銘を受けたという。「お馬さん」の魅力から世界の馬肉事情まで淀みなく語る沢井氏は「馬肉伝道師」を自認している。

地方の馬食文化の素晴らしさを知る

――馬肉の世界に入ったのはどのようなことがきっかけですか?
祖母が牛・豚・鶏の食肉問屋を営んでいて、そこから派生して馬肉の商売もしていました。私の兄が継いで社長をしていました。私は高校卒業後、兄の会社の手伝いをするようになりました。このころ国内でO157(病原性大腸菌)騒動が起きて、肉の生食を控えようという傾向になっていました。21年前、1996年当時のことです。

私の仕事は工場で肉をさばくことからはじまり、その後、営業を担当するようになりました。エリアは会社のある千葉から東京中心です。馬肉は飲食店でクジラやカラスミなどと並んで高級珍味として扱われていて、当社の馬肉もその波に乗ることができました。

――馬肉に詳しくなっていくのは、どのような経緯がありましたか。
東京で営業をしているうちに、地方に馬食文化が存在することを知りました。最初は熊本、そして長野、山梨、福島の会津若松という具合です。そのような馬食文化の在るところは私にとって馬肉の聖地で、とても恐れ多い存在でした。でも、どのようなものかを知りたくて、まず車で行ける距離にある長野に行きました。

長野は大きく4つのエリアに分かれていて、それぞれ有力な馬肉メーカーが存在していました。そんな中で飛び込み営業したのですが、地元の相場はとても高かった。しかも切り身が大きくて扱いにくい。一方の当社の商品は小さくて扱いやすい。営業した先の地元のお客さまは私がよそ者ということで最初こそ警戒されましたが、そんなこともあって現地で営業すれば、お客さまを次々と獲得することができました。

――馬食の文化には、独特のものがあったのではないでしょうか。
このようなところでは一般家庭向けがよく売れていました。長野の南地区にある精肉店の冷蔵ケースには馬肉がどーんと置かれて、牛肉・豚肉・鶏肉がそれに続いているとか、馬肉と鶏肉しか売っていない精肉店とかありました。

馬刺しの薬味は一般的にニンニクやショウガですが福島の会津若松ではカラシ味噌です。秋田は白味噌で馬肉の鍋がありました。このような具合に、ご当地ならではの馬食文化を知ることが楽しく、そして営業するとよく売れました。私が兄の会社に入って6~7年間での経験です。

――大消費地東京と地方の馬食文化に大きなギャップを感じたわけですね。
東京では、馬肉といえば馬刺しで、しかも赤身か霜降りばかりです、馬肉も他の肉と同じようにさまざまな部位でいろいろな楽しみ方があります。このようなことを伝えていかないと、馬肉ののびしろというものがなくなってしまうのではないかと考えるようになりました。

そこで食肉問屋にお願いをして、馬肉のことについて話をさせていただく機会をつくっていただきました。そんな過程で東京では郷土料理ブームがやってきて、グルメ雑誌では馬肉特集をするようになりました。

ところが、グルメ雑誌などで紹介される店はことごとくが客単価8000円、1万円と気軽な金額ではありません。馬肉に合わせるプレミアムの本格焼酎が1杯1000円は当たり前でした。私にとってこのような現象は短命に終わるだろうと感じました。4〜5000円程度の客単価であるべきだと思っていました。

「馬喰ろう」は馬食文化を伝える媒体

――転機はどのような形で現れましたか。
私が馬肉専門店のイメージを描きつつある2005年頃に、馬肉専門店を開業したいというイタリアンレストランのシェフと出会いました。これから独立をするに際して「馬バル」のような店を開業しようと、ご自身で直接産地に赴いて仕入れ交渉をしていたようですが、うまくいっていなかったそうです。そんな時に私と出会い意気投合しました。その方は水道橋に「馬バル」をオープンさせました。その様子を見て、私は馬肉専門の飲食店に大きな可能性を感じました。

――自分ではどのような店を営業したいと考えましたか。
馬肉専門店で儲けようという発想は全くありません。私が営業する店は馬食文化を広めるための媒体であり、お客さまに新しい食べ方を楽しんでいただき、ここを訪れる飲食業の人にはどんどん参考にしていただくということを狙いとしていました。

とは言え、自分にとって飲食業は初めてのことでしたので、1号店の神田の店は9坪からスタートしました。オープンして3カ月は大赤字でした。当時の神田は保守的な空気があり地域密着でなければ営業できません。それでも何とか定着することができたのは、素人の私たちが一生懸命頑張っている姿を地域の皆さんに少しずつ理解していただいた結果でしょうか。

――店舗展開をしていく上で、店のコンセプトをどのようにしていきましたか。
1号店は総合居酒屋でスタートし、ここでさまざまなメニューを提供しました。2号店は1号店との差別化も意識して、長野で体験した「すき焼き」をリーズナブルに食べられる店にしました。また、ある店では焼き肉をメインに据えるなど、馬肉と言えどもそれぞれの店の個性を打ち出すようにしました。

現在は直営が7店、FC4店です。FCは金沢、新潟、名古屋と出店し、それぞれ繁盛しています。馬肉専門店は東京圏では優に100店舗を超えているのですが、地方都市では「東京では馬肉専門店が繁盛している」ということが知られていて、「ついに地元に馬肉専門店ができたか」という感動的に受け入れられているようです。

「馬肉のトータルサプライヤー」を極めていく

――外食市場における現状の馬肉のポジショニングについてどのように感じていますか。
馬肉の世界は未開拓の要素があります。国内で馬肉のメーカーは10社程度のため、新規開業のハードルは高いのです。加えて、馬肉の原産地は日本の他、カナダ、メキシコ、アルゼンチン、中国、イタリア、ポーランドなど各地に及び、相場もありません。ですから、馬肉の場合、新規参入は容易にできません。この現状が馬肉ブームのブレーキになっていると思います。

今日の馬肉の市場は10年前と比べて10倍になっているのですが、このブレーキがないと50倍になっていたかもしれません。このような馬肉の世界の特徴が淡々と市場を広げている要因と言えるかもしれません。

――株式会社馬喰ろうは、外食企業としてどのように進んでいきますか。
飲食業の人たちは、当然のように明るく元気な挨拶や接客が身についています。それと同じように当社の社員は馬肉への愛着と知識を持っています。そこで、当社は「馬肉のトータルサプライヤー」としての道を極めていきます。

私は今馬肉を使ったランチの業態を考えています。現状、ランチで馬肉を食べられる店は多くありません。そこで、「焼き肉」「天ぷら」「鰻」といったランチの選択肢の中に「馬肉にしようか」というものを加えたい。業種的には馬肉の中華料理店も考えられます。この店の場合は「チンジャオホース(馬肉のチンジャオロース)」「ウマーボードウフ(馬肉のマーボードウフ)」がよく売れているかもしれません(笑)

【編集後記】千葉哲幸のコメント
私が沢井氏とはじめて出会ったのは2014年ごろ。当時、沢井氏が参画する日本馬肉協会が著した『馬肉新書』が発行されたばかりで、馬肉の有望性がとても注目されるようになっていた。当時から「馬肉伝道師」を自認している沢井氏であるが、近年はそのひたむきさをもって店の陳列や小物の表現に磨きをかけている。これらは馬肉を人々により身近に感じさせることであることに気づいた瞬間、沢井氏の馬食文化への「愛」の深さに感動する。

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千葉哲幸
この記事を書いた人

フードフォーラム代表。
柴田書店『月刊食堂』と、そのライバル誌である商業界『飲食店経営』の編集長を歴任するなど、フードサービス業の記者歴35年。業界関連の取材・執筆、書籍プロデュース、セミナー活動を行う。2017年4月に「志を持ち、生き方を変え、日本を元気にする」を冠としたエーアイ出版『夢列伝』の編集長に就任し、活動領域を広げている。著書に『外食入門』(日本食糧新聞社発行、2017年)。

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