飲食店で働く人のための情報マガジン by トレタ

連載
2017年12月13日

若き経営者たちの夢〈7〉 藤森真氏(株式会社シャルパンテ)

この記事をシェアする

外食産業を牽引する経営者たちの夢に迫る企画の第7回にご登場していただくのは株式会社シャルパンテ代表取締役の藤森真氏である。同社は2010年10月に創業し、現在の業容はワインバル4店舗、フレンチレストラン1店舗、ワインショップ1店舗、ワインスクール1。同社創業の店名である「VINOSITY」(ヴィノシティ)は、今や大衆業態として定着しているワインバルを象徴するブランドとなっている。この草分けとも言える藤森氏に「夢」を聞いた。


藤森真氏

東京にワインバルが誕生したのは2000年に入ってしばらくしてからのことだ。「ヴィノシティ」はこの業態のモデルとなった店の一つに挙げられる。同店には伝説がある。それは、神田という女性客とは縁遠いイメージの町で(当時)、しかも周辺に飲食店がほとんどない立地に出店して(2011年1月)、たちまちにして予約が取りにくい店となったことだ。そして今、神田はワインの似合う街になっている。同店の特徴は、客単価4000円程度で、ワインに合う食事と共にワインを気軽に飲めること。そしてワイン通の欲求を満たす品揃えと知識を持つスタッフが存在している。ワインの店をより親しみやすい業態にしたことで、ディナー帯の楽しみが広がっている。

「ワイン好きを増やすこと」がコンセプト

――ヴィノシティのコンセプトはどのようなものですか?
「ヴィノシティ」とはラテン語で「ワイン好き」という意味ですが、店のコンセプトはその通り「ワイン好きを増やす」ということです。それまでのワインは、一部の詳しい人が難しいものにしてしまっていました。私は何度か本場のフランスにも行きましたが、現地ではワインをとてもカジュアルに飲んでいます。樽の上で、コップやジョッキで飲むとか。隣で飲んでいるおじさんたちと仲良くなるとか……。私は、独立開業の店をこのような店にしたかった。

――ヴィノシティがオープンするまでどのような経緯がありましたか?
物件は最初、恵比寿、渋谷、麻布十番あたりを探しました。しかし、家賃が全然合いません。税理士事務所の試算だと私がやりたいことでは大赤字です。そこで、エリアを抜本的に変更することになりました。

その頃、新宿で2店舗経営していた友人が3店舗目を上野に出しました。「なぜ上野に出したのか」と尋ねると、「上野にはお客さんがたくさんいるよ」という。そこで早速上野に行ってみたところ、平日の15時ごろにめちゃくちゃ人が歩いていました。そこで不動産屋さんに「上野を探してください」とお願いしたところ、おまけでついてきたのが神田の物件でした。家賃は坪1万5000円を切っていました。

その物件のことを不動産屋さんに相談したら「やめた方がいい」という。店がころころと変わっているし、その頃の神田は女性が夜飲食をするような街ではない。しかし、私がつくる店は女性客が来てくれるという確信はありました、

オープン当初、夜になると店の周りは真っ暗です。それを私は有利なことと考えました。真っ暗の中に当店の灯りがともっていると当店は目立つことになりますから。その後、ヴィノシティが安定していくにつれて続々と新しい飲食店が周りにできていきました。皆さん繁盛店となり、さらに店が増えていって、この一帯はいつの間にか飲食店街となりました。

――1号店以降ドミナント出店していきますが何故ですか?
オープンして2カ月後の3月11日に東日本大震災になってしまい、だんだんと外食を控えるような風潮になってきました。しかしながら、メディアに取り上げられた効果があってか、連日飲食業界の人々やメディアの方々が多くいらっしゃるようになりました。予約がとりにくいということでクレームを頂くこともあり、また立ち上げメンバーの一人が「ロゼワインにチャレンジしてみたい」ということで、この近くに出店することを想定しました。

助成金をいただいていたことから幸い2号店をつくる程度の余裕がありました。こうして1号店から徒歩3分のところに2号店を出店し、さらにワインショップを出店し、という具合に現在の業容となっていきます。

ステップアップするために資格を取り続ける

――飲食業に入るきっかけはどのようなものでしたか?
高校3年生の時の彼女が大学生で、「夏休みにリゾート地にバイトに行く」と言い出したことです。それはペンションでしたが、私は彼女のバイト先を訪ねました。その地下にバーがあって、飲み物に青いグラデーションがあったり、オレンジで下が赤いお酒とか、それにとても衝撃を受けました。そこで「バーテンダーになりたい」と思いました。

高校卒業後は専門学校に進み、船の中のフレンチレストランに就職しました。バーテンダーの希望を出していましたがギャルソンの見習いからスタートしました。ここのシェフがその日のメニューができるとイラスト付きのメニューとその説明をフランス語で書いて皆で共有しました。そこで私はお客さまがいらっしゃる前に辞書で調べて、説明の仕方などイメージしていたものです。

その後バーテンダーに配属されました。しかしながら、自分にはオーセンティックバーは向いていないと思うようになり、それ以来、利き酒師、ビアマイスターという具合に。お酒を扱う資格を次々と取って行きました。ソムリエはまだでしたが、「いずれは」と考えていました。

――なぜ、資格をたくさん取ろうと思ったのですか?
それは、夢を描ける職場で働くためにステップアップしたいと考えていたからです。でも、20代でお酒に関する資格を取ることはものすごくお金がかかることです。事前講習、教本代、協会への入会金と月会費、そして受験料。合格して「やったー!」と思って、認定料3万円。そこてバッヂと証書をいただきます。こうして一つの資格を取るために約15万円を要します。当時ホテルに勤務したのですが本当にお金がなくて、ガスや電気を止められるということもたびたびありました。

この頃あるパーティ会場でソムリエ界の重鎮から声をかけられました。「ワインの勉強をしないか?」と。そこで田崎信也さんを紹介していただきました。27歳の当時です。そこで田崎さんの事務所に入ることになり、しばらくは田崎さんのアシスタントをして、ワインスクールにも通わせていただきました。そこで、集中して勉強しソムリエに合格しました。

田崎さんの事務所を辞めてから、外食企業にソムリエとして勤務します。その後入社した外食企業で店長になるのですが、そこで「ヴィノシティ」の立ち上げメンバーと出会いました。

スタッフが夢を描ける会社

――メンバーとは「一緒に店をやろう」と計画をしていたのですか?
彼らは自分の意志で入社してきました。2010年8月、私の最終出勤日にビッグサイトで独立開業者向けの展示会がありました。この日に後に立ち上げメンバーとなる部下二人を連れていきました。この二人は将来独立開業を目指していて、私も心の中では「この二人と将来店がやれると楽しいだろうな」と思っていました。

ビッグサイトでは三人で別々のセミナーを受講して、それが終わってから合流して皆で飲む約束をしていました。帰りのゆりかもめの中で私が「実は俺、今日会社を辞めるんだ」と告白したところ、みんなが「えーっ!」という。途中一人が「用事があるので、後で店に行きますね」と言って一旦分かれました。

そして店でもう一人が合流し三人で飲んでいたら、途中抜けた一人が戻ってきました。大きな荷物をガラガラ引いています。「どうしたの?」と聞くと、「私会社を辞めてきました」という。他のメンバーも「俺も……」と言い出します。私としては、まだどのような店になるか想像もしていない状態で、彼らには「今の会社でちゃんと実績をつくってきてから俺の店に来い」と伝えました。

――2014年にワインスクールを開校しましたが、なぜですか?
ソムリエの資格をとるためには一般的に20万円程度お金がかかります。この仕事をする上でソムリエの資格はとても重要ですが、金銭的なことを理由に若いスタッフはソムリエの資格を取りたがらない。30歳を超えると、店長になったりして忙しくなります。一方で記憶力は衰えてくる。ですから、ソムリエの資格は20代で取って欲しいと思っています。そこで、お金が負担にならないワインスクールを開講したいという思いがありました。

当社のワインスクールの料金は一般の半分程度となっていて、勉強する内容は倍あります。
テイスティングするワインも168アイテムです。1回の授業は3時間、ワンクール24回、講師は元試験官ばかりです。絶対に合格させるというスタンスです.

――これからの夢はどのようなものですか?
それは、「ワイン好き」の理念を追求して店の生産性を高めることです。現在ワインショップで通販やデリバリーもはじめていますが、ワインのインポーターをきちんと充実させます。さらに、バルにワインショップの機能を持たせて、それをデリバリーする仕組み整えると、キッチンの料理もデリバリーに載せることができます。こうすることで店はフルに稼働し、スタッフも2交代制にすることによって法令順守のシフトが整い、利益が上がります。

スタッフが頑張ったらフランスに研修に行くことができる。いろんなレストランで食事をすることができる。今もこのようなことを行っていますが、これらが制度として存在し、労働環境も整っていることが当たり前の状態にしたい。若いスタッフにとって夢を描くことができる会社にしていきます。

【編集後記】千葉哲幸のコメント
今日ワインバルでスパークリングワインを注文すると、目の前で表面張力によってグラス一杯に注いでくれる店が多いが、これを考え出したのがヴィノシティである。この一杯にお客さまは感動し、スタッフとの会話が盛り上がる。ここからお客さまにワインとともに楽しい時間を過ごしていただく工夫が自然体で表現されていく。今日ワインをかたくるしい飲み物だと思っている人は誰もいないであろうが、ヴィノシティが取り組んできたことはそのよう環境に大きく貢献している。「ヴィノシティ」とはこれから売り方を変えても「ワイン好き」のブランドとして広がっていくことであろう。

■「若き飲食経営者たちの夢」記事一覧

「若き飲食経営者たちの夢」

■おすすめ記事

河野祐治の大繁盛への道【1】繁盛店視察の6つの鉄則


大野先生の飲食店開業に必要なお金講座【1】借入はリスクではありません!

この記事をシェアする
千葉哲幸
この記事を書いた人

フードフォーラム代表。
柴田書店『月刊食堂』と、そのライバル誌である商業界『飲食店経営』の編集長を歴任するなど、フードサービス業の記者歴35年。業界関連の取材・執筆、書籍プロデュース、セミナー活動を行う。2017年4月に「志を持ち、生き方を変え、日本を元気にする」を冠としたエーアイ出版『夢列伝』の編集長に就任し、活動領域を広げている。

おすすめ5選

新着記事