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連載
2017年10月19日

若き飲食経営者たちの夢〈3〉保志真人氏(株式会社キープ・ウィルダイニング)

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外食業界を牽引する経営者たちの夢に迫る企画の第3回にご登場していただくのは株式会社キープ・ウィルダイニング代表取締役社長の保志真人氏。同社は2004年10月に創業し、以来神奈川県東部のローカルで展開していたが、2011年3月より東京・町田に拠点を移すようになってから、ミッションを打ち出してその通りに邁進している。同社を率いる保志氏に「夢」を聞いた。


保志真人氏

キープ・ウィルダイニングのミッションは「ないものを創り、あるものを活かす」である。その意味を理解したいなら東京・町田を訪ねてみればいい。町田はJRと小田急線の町田駅が中心となり大きなにぎわいが形成されているが、飲食店は「カフェ」が目立つ。これによって街は明るく「自由」の雰囲気を感じさせる。この立役者が同社である。保志氏は1974年生まれ。同社は現在30店舗と着実に成長しているが、これは保志氏がマーケットを自らの価値観に照らし合わせて事業を組み立て、舵の切り替えを判断してきたことによるものだ。保志氏が率いる同社の活動はローカルの可能性を広げている。

「頑張っている皆に店を持ってもらおう」と店舗展開を進める

――飲食業界に魅力を感じたのは、いつごろ、どのようなことがきっかけですか。
高校を卒業してからチェーンの居酒屋でアルバイトをはじめたのですが、当時勢いがあった同店はとても繁盛していて活気がありました。そこで私は一生懸命働きました。ジョッキを持って走り回っていると、生きていることを実感しました。そして、お客さまに喜ばれ、上司から褒められ、仲間から感謝されるようになりました。私はこのような居酒屋という職場が大好きになりました。

当時は独立願望も無く、大きな外食企業に入社して、その中で大きな仕事がしたいと考えていました。しかし、大きな組織で過ごしているうちに、独立した方が自分らしく生きることができると思うようになり、28歳で独立しました。

――独立1号店はどのような店でしたか。
場所は東林間(神奈川・相模原市)のシャッター街です。紹介されたときに「ここじゃ無理だよね」と思ってスルーしていたのですが、開業資金や融資も乏しく、実際に開業してみたい物件は諸条件が高いことから、ここでスタートしました。

このときの私の商売の動機は「自由な時間が欲しい」「お金が欲しい」という自己満足だけでした。頑張ってお客さまに来てもらえるようになって、その2つの願望がかなえられたのですが、逆に心の中にぽっかりと穴が開いたような気分になりました。それは「これが自分の欲しかったものだったのか」ということです。

振り返ると、創業のときから頑張っているメンバーがいます。そこで「皆が店を持てるようにしよう」と思い、店舗展開する方針に切り替えました。そして、さがみ野、相武台、南林間という具合に、各駅停車駅のローカル立地で展開していきました。

――このようなローカル立地で出店を継続できた要因をどのように考えますか。
当時のローカル立地にある居酒屋は、家族経営か、大手チェーンばかりで若い人が行きたいと思う店がありませんでした。私たちの店は2等立地3等立地にあるのですが、オープンすると若い人たちがすぐに気づいてくれて来店してくれました。

このような立地で私たちが最も大切にしたことは「ホスピタリティ」です。ここでは一回ご来店したお客さまがリピートしていただかないと店は成立しません。その生き残り策として「ホスピタリティ」が磨かれていったのでしょう。

地元の人に育てられてきた。だから、地元から離れない

――現在の方向性を固めるようになったのは、どのようなことがきっかけですか。
それは東京都内で、低投資で年商10億円を売り上げるというブライダルの案件をいただいたことです。当時の会社の業容が2倍になる内容です。その話を拒む理由は全くありません。そこで、われわれもそれを実現しようと動いていました。

しかしながら、違和感をずっと抱いていました。その理由を考えていたところ、「社員とビジョンが共有できない」「自分の会社が何者なのか分からなくなる」ということでした。次に、「われわれは地元に育ててもらった」という実感がありました。この地域から離れて、都内の人たちに喜んでいただくことに情熱を燃やし続けられると思えませんでした。

そこで、進みかけていた都内の案件はお断りしました。そこから当社には「都内に出ていくことは選択肢にない」という考え方になりました。

――なぜ、拠点が町田になり、カフェの展開を始めたのですか。
私は町田の近くで育ったのですが、地元の人にとって町田は首都のような位置づけで周辺の人々が集まってくる町でした。しかしながら、都心のように楽しむ環境は充実していません。町田は男性向けの店が多く、女性が入れる飲食店がない。そこで、カフェをオープンしました。

すると、それまで当社が展開していた居酒屋に見られない「引き」を感じました。営業時間のどの時間帯でも満席となり、町の中で評判になるスピードがとても速い。町の人たちがカフェを待望していたことを実感しました。

カフェには「自由」があります。お酒を飲んでいる人がいれば、お茶の人もいる。おしゃべりを楽しんでいる人もいれば読書や、仕事をしている人もいる。その全ての人が同じ空間にいることができる。また当時「若い世代の酒離れ」ということも言われるようになり、それがカフェの自由度に目を向かせる要因にもなりました。

幸いにも物件に恵まれて、当社でカフェを4店舗出店したところ「町田カフェ本」が続けざまに発行されるようになり、「町田はカフェの街」と言われるようになりました。

地元の人が地元への愛着を語れる街にする

――これからどのように事業を進めていきますか。
これまでは事業のエリアとして町田と相模原を意味する「マチサガ」をうたっていましたが、今は「武相」(ブソウ、旧武蔵国と旧相模国の一帯という意味)とうたうようにしています。湘南のように広義のもので、住んでいる自分たちにもなじみがありませんでしたが、調べていると、新しいことにチャレンジしてきたこの地域一帯のことです。

この町田を中心とした地域の人々はアイデンティティが薄いのですが、「武相」とうたうことで、地元意識が高まるのではないかと思い、この名称によって地元をブランディングしていこうと思っています。私が居酒屋甲子園の活動をしている中で全国を回る機会があり、そこで地元への愛着を語る人たちと交流する機会が多く、私も自分の地元をそのように語れることに憧れていました。

最近、当社ではこのエリアを起点に新時代を生きるためのインフラをつくる「LIFE SHIFT武相」というビジョンを策定しました。これからは100歳まで生きる時代ですが、そのロールモデルはまだ世界的に存在していません。もっと「自由な生き方ができる環境」を作り、それらを発信できるエリア・街にしていこうというのが、このビジョンの狙いです。

新しく計画する本社にはコアワーキングスペースをつくり、ブックカフェやホステルも併設し人がたくさん集まる「ハブ」にして、起業のアイデアを持った人たちがスタートアップできる場所として、投資家とつながる接点をつくります。また「イートローカル」を掲げ、地元の旬のものを食べられるインフラを各駅に整えていきたい。このようなさまざまな「場づくり」を行うことによって新たなライフスタイルを提案していきます。

私たちが培ってきた飲食業のノウハウをこれからの街づくりに役立てていきたい。特に、食を通したコミュニケーションは十分に生かされることでしょう。このような事業活動を通して、地元を豊かで誇れる街にすること。そして「武相」を世界に知られるエリアにすることが私の夢です。

【編集後記】千葉哲幸のコメント
私が初めて保志氏と出会ったのは2009年の3月であった。当時、同社は「従業員満足度№1」を競うコンテストで優勝し、私はその経緯を『飲食店経営』の誌面に取り上げるための打ち合わせで本部に赴いた。本部のある相模鉄道本線さがみ野駅はまさしくローカル立地で、そこから徒歩圏の中に小さな店を数店舗出店していた。店は粗削りでスタッフが皆若く、しかしながらお客さまをおもてなしする姿勢が満ち溢れていた。現在、本部は町田駅近くで同店が経営するカフェの上にあり、すっかりと洗練された雰囲気が漂っている。街が放つ明るさの光源である。そして今、同社が掲げて動き出している「LIFE SHIFT武相」によって、町田を中心とした「武相」は新しい様相を呈していくことであろう。それは保志氏のふくらみ続ける「夢」の実現に他ならない。

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千葉哲幸
この記事を書いた人

フードフォーラム代表。
柴田書店『月刊食堂』と、そのライバル誌である商業界『飲食店経営』の編集長を歴任するなど、フードサービス業の記者歴35年。業界関連の取材・執筆、書籍プロデュース、セミナー活動を行う。著書に『外食入門』(日本食糧新聞社発行、2017年)。

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